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たまごかけごはん

リトリーブサイコセラピーを勉強中(プロコース卒業済み)です。講座で勉強したことや、自分のあゆみを振り返ってまとめています。

母を呼ぶこころの声

わたしのこころは、いまだに3才くらいの子どものままだ。

 

処理できないことを目の前にすると、お母さん、お母さん、と、母親を呼び続けている。

 

その気持ちが未完了なので、処理できない問題を作り出しているように感じる。

 

そろそろ潮時。向き合う時間だ。

育つ

最近、テレビばっかり見てるから、テレビの話になるんだけど。

 

ドラマとかで人が成長したり、悩んだりするシーン見てると、誰もが生きる道で悩んだり決断したりを練習しながら繰り返してるんだなぁ、って分かる。今までは体感として理解してなかった。

 

リトリーブを学び始めて、初めて人が生きることについて向き合う場面や意味を知ったんだけど、リトリーブを知らなくても人は普通に通ってる道なのかもしれない、って。

 

リトリーブにわたしは救われたという意味では特別だけど、特別じゃない、というか。わたしにはリトリーブが必要だったから出会ったわけで、そうじゃない世界でも人は自分に納得するために、悩んでもがいて、答えを見つけて生きていくんだなぁ、って少しずつ分かってくる。

 

愛されて育ったか、そうじゃないかは分からないけど、いまに満足して、自然な心からの笑顔で笑い、相手の話を自分で咀嚼できる人と付き合っていきたいなぁ、と、改めて思うのでした。

 

 

 

やりたいこと。止められないこと。

自分がどうしたいのか、を、ずっと考えている。

 

やりたいことも、やめたいことも、本当にそうなのか分からなくなる。分からなくさせることで、生きていることが出来る。ほんものの自分の感情や感覚にアクセスすることが、怖い。

 

自分の感情を感じようとすることは、わたしの中に感覚を司る存在を納めることであり、それはつまり、感情と感覚を感じることをやめた時の自分と出会うことなのかも知れなくて、そこに触れるのが怖い。

 

やめたいのに止められないことは、本当は嫌いなことで、それをやり続けてることが、犠牲者でいるということ。それに気づくのが怖かった。

 

やりたいのに始められないことは、母を超えていくことだと感じていたから、進めなかった。ちがう。わたしの道を選ぶことは、母がどうなるかとは関係ない。

 

ということを整理してみようと思う

 

 

人の心理を学ぶということ

心理を学び、人の感情を客観的に理解できるようになることの弊害として、今まで心が揺さぶられ、簡単な言葉で言うと「感動をしたり」「面白い!と喜んだり」していたことにも線を引いてしまい、作品の作り手の意図をぶち壊してしまうことがあるのではないか、と危惧している。

 

この前似たようなことを書いたけれど、人の手が作り出したものには面白みを見いだせなくなるのはいやだ、と思っている。

 

思い込みに縛られて生きるのも嫌だけど、そんな仙人みたいな生き方も嫌なのだ。

 

感動や興味の下には、投影や無境界があったとしても、それが俗物的なものや、外見にとらわれたものであったとしても、作り手や仕掛け人のそういう心理もふくめて面白がっていたい。

日常を生きること

信頼できる人、安心で安全な関係を築けている人と付き合うと、1日の始まりに感じている自分の進みたいペースや方向と、1日の終わりに感じている感情に、あまりズレが生じない。

方法や、具体的な結果は問題では無くて、1日の終わりに、今日一日いろいろあったけど良かったなぁ、と布団に入って目を瞑ることができる。

 

だけど、怖い相手とは無理をして接してるので、会う前もぞわぞわするし、会ってる間も感覚が途切れてその場を楽しめないし、自分の意見をストレートに表現出来ないし、逆に大きすぎる主張をしてしまうし、終わってからは異常に疲れが残る。

 

たくさんの、自分にとって受け入れにくい感覚を全部抱え込んで、ひとりで解決してきた。

誰にも言えなかった。言うことを禁止された。言っても無視された。言っても信じてもらえなかった。言ったら怒られた。

 

それは小さなことの積み重ねでもあり、大きなことの封印でもあり、とにかく、小さなわたしにはどうしようもない出来事だった。

どうしようもないから、諦めた。悔しくて悲しくて怖くて痛くて、こころが粉々に砕けた。くだけた心はもう自分で繋ぎ合わせることができなくなって、砕けたまま両手ですくって抱えて生きてきた。

 

だから、こころがバラバラなのだ。

 

リトリーブサイコセラピーに出会って、バラバラのパーツを一つずつ繋ぎ合わせている。その間、パーツを組み合わせているわたしの魂は過去に少しだけ旅をしている。そして、ここではないどこかにかくまわれているような気分にもなる。ずっと、優しい愛を持った人に見守られている。

 

だから、そこは居心地がいい。だけど、わたしは今を生きているひとりの人間で、過去にも帰れないし、毎日リトリーブを知らない人たちとも関わって生きている。生きていく。

 

だから、日常生活にもこの安心した感覚を広げていきたいのだ。バラバラなこころは日常生活の中にもあって、それもまた繋げていきたい。

 

セラピストさんに、「普段の生活でもそうしていきたいもんね」と言葉をかけて理解してもらえたと感じたとき、閉じていたその部屋の扉が開いた気がした。

 

世界は、地面は、空は、風は、繋がっている

わたしはなにも失ってはいない

性虐待は「魂の殺人」と呼ばれているそうです。

 

わたしの場合は、そこまで酷いものではないのかもしれないですが(事実はこの場合そんなに重要ではないそうです)、セッションの中でそれを受けたに近い感覚と恐怖がありました。記憶はないので、覚えてないのか、それこそ解離か、もしかすると抑圧かによって蓋をしているのかも知れません。

 

 性虐待に関するセッションについて座学で学ぶことがあまりないので、客観的に頭で理解することが少なく、セッションや回復の流れが自分の中に作れないことが、もやもやすることもありました。

そもそもセッション自体生物なので、こうなったらこうなる、みたいな事は無いのでしょうが、わたしの場合はこうだったよ、ってのが残せたら良いのかなぁ?と思っては消えて行く、というのがこの3ヶ月くらい続いています。

 

  • 解離して記憶を消していたことに気づく
  • 自分の中の複数の存在との対話
  • 死にたい感情を認める
  • 事実(当時の感情)を知る
  • 事実を受け入れてもらえなかった悲しみの処理
  • 自分が悪かったという念の処理
  • 自分は汚いという感覚の処理
  • 自分を失ってしまったという感覚の処理
  • 自分は自分という一人の存在であるということを認める

 

思いつくだけ書いてみたけど、時系列やひとつひとつは他の側面との関連もあったりするので、ちゃんとまとめられたらいいのだけど。

 

Amazonとかで、性虐待や解離性障害の本を探すとレビューとかで苦しんでいる人が多くて、あぁ、そうやってみんな人生に向き合ってるんだよなぁ、必要な人に必要なタイミングでいいから、リトリーブサイコセラピーに出会って欲しいなぁと思います。

 

 

もう独りにしないで:解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復
 

 

 

癒しのエンパワメント―性虐待からの回復ガイド

癒しのエンパワメント―性虐待からの回復ガイド

 

 

解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)

解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)

 

 

 

あなたの中に、あなたはいますか?

自分の中にある解離グセを認識して、はや1年と少し。

解離を完全に止めることはなかなか難しいけれど、解離してる時に「あ、私がいない」と気づくこともできるようになってきた。

 

解離(かいり)という言葉は、精神医学・臨床心理学の範囲に限っても、使われる場面によって様々に顔を変える。それをあえて抽象的に定義するならば、感覚、知覚、記憶、思考、意図といった個々の体験の要素が「私の体験」「私の人生」として通常は統合されているはずのもののほつれ、統合性の喪失ということになる。

Wikipediaより

 

わたしの場合、セッションの中で何度か、感情や感覚が「わたし」とは異なる意志を持って行動をコントロールしている場面はあったけれど、「解離性障害」とまでは言えないレベルの解離が、日常的に頻発している状態なのかなぁ、と感じています。 

 

今回のセッションで、頭の中(心の中、身体の中とも取れる)が空洞になる体感を何度も感じ、わたしの実体が抜けたり入ったりする感覚は前より強くなってきていて、これをやる(言う)と抜ける、というのが事前に分かるまでになってきたことに気づいた。

また、父にも解離グセがあったと知ることが出来た。

 

今日気づけた大きなこととして、もうひとつ。

実体が抜ける時の感覚を幼い私は、「私がどこかに行ってしまう」「わたしが隠された」「連れて来て」と表現していた。

たぶんわたしの中でわたしを守る存在(わたし)がいて、ほんとうの自分を居なく(感じなく)させることで、耐えていたのだろうと思った。

説明が難しいけど、通常はほぼ同じ意識を持った2人が存在していて、辛いことが起こりそうな時に、感覚を司るA子が居なくなりB子ひとりが外の世界と対峙してる形になる。B子は突然ひとりになり、A子を探してるんだけど見つからなくて、ひとりで私の体を守ってる。そんな感じ。

私が探してるものって、このA子の感覚なのかも知れない。失った感覚やA子側が持ってた感情。一緒になりたい。ここに居ていい。そうしていきたい。