たまごかけごはん

リトリーブサイコセラピーを勉強中(プロコース卒業済み)です。講座で勉強したことや、自分のあゆみを振り返ってまとめています。

日常を生きること

信頼できる人、安心で安全な関係を築けている人と付き合うと、1日の始まりに感じている自分の進みたいペースや方向と、1日の終わりに感じている感情に、あまりズレが生じない。

方法や、具体的な結果は問題では無くて、1日の終わりに、今日一日いろいろあったけど良かったなぁ、と布団に入って目を瞑ることができる。

 

だけど、怖い相手とは無理をして接してるので、会う前もぞわぞわするし、会ってる間も感覚が途切れてその場を楽しめないし、自分の意見をストレートに表現出来ないし、逆に大きすぎる主張をしてしまうし、終わってからは異常に疲れが残る。

 

たくさんの、自分にとって受け入れにくい感覚を全部抱え込んで、ひとりで解決してきた。

誰にも言えなかった。言うことを禁止された。言っても無視された。言っても信じてもらえなかった。言ったら怒られた。

 

それは小さなことの積み重ねでもあり、大きなことの封印でもあり、とにかく、小さなわたしにはどうしようもない出来事だった。

どうしようもないから、諦めた。悔しくて悲しくて怖くて痛くて、こころが粉々に砕けた。くだけた心はもう自分で繋ぎ合わせることができなくなって、砕けたまま両手ですくって抱えて生きてきた。

 

だから、こころがバラバラなのだ。

 

リトリーブサイコセラピーに出会って、バラバラのパーツを一つずつ繋ぎ合わせている。その間、パーツを組み合わせているわたしの魂は過去に少しだけ旅をしている。そして、ここではないどこかにかくまわれているような気分にもなる。ずっと、優しい愛を持った人に見守られている。

 

だから、そこは居心地がいい。だけど、わたしは今を生きているひとりの人間で、過去にも帰れないし、毎日リトリーブを知らない人たちとも関わって生きている。生きていく。

 

だから、日常生活にもこの安心した感覚を広げていきたいのだ。バラバラなこころは日常生活の中にもあって、それもまた繋げていきたい。

 

セラピストさんに、「普段の生活でもそうしていきたいもんね」と言葉をかけて理解してもらえたと感じたとき、閉じていたその部屋の扉が開いた気がした。

 

世界は、地面は、空は、風は、繋がっている